タイムスリップよこはま 〜TIME SLIP YOKOHAMA〜  
関東5大都市
 安政の開国によって外国文化の受け入れ口となった開港5大都市。「タイムスリップよこはま」でご紹介している横浜の他に、函館・新潟・神戸・長崎が開港され、後の日本文化は大きな影響を受けた。それぞれの開港当時はどんな様子だったのか振り返ってみよう。
函館港
 函館と言えば、世界一夜景の美しい街とか土方歳三終焉の地で有名だが、時代を遡(さかのぼ)ればその背景には近代文化の入り口としての歴史がある。函館は、安政6(1859)年に、ペリーによって横浜港・長崎港とともに日本初の国際貿易港として開港された。
海や湖が陸地に入り込んでいて、恵まれた地形であった事から港町にされ、他文化の影響を直に受け、段々と栄えていったのである。尚、この地を来訪したペリーの目的は、乗組員の休養、水・食料などの補給の他、太平洋で操業する捕鯨船(ほげいせん)の安全確保だったと言われている。
そして、最終的には函館港が北方太平洋での戦略要地となる事を確信し、その環境水準を高く評価した。
新潟港
 新潟港が開港されたのは、他の4港が開港した安政6(1859)年から10年後、明治元(1869)年11月19日の事だった。これは諸外国が当初、他の港を開港する事を要求したのと、信濃川河口に港があり、その浅い水深のために大型船が入港できなかったのが大きな要因だったと言われている。
しかし、開港こそ遅れたものの、新潟港は日本海側では唯一の貿易港となり、その後は灯台の設置や運上所の建設などが行われ、様々な異文化を吸収しつつ発展し、その姿を変貌させていったのである。
また、北方に対しての函館と同様に、中国や朝鮮といった大陸に向けての前線基地的な役割も持っていたと言えるだろう。
神戸港
 異国情緒では横浜と双璧を成す神戸。その開港式は運上所で執り行われた。時に慶応3(1868)年の出来事である。日本は200年以上も続いた鎖国に終止符が打たれ、開港によって国外からもたらされた風俗・習慣などが一気に広まって行こうとする時期だった。開港された5大都市の中で、そういうものの取り入れ方が最もスムーズだったのが神戸である。現在の神戸を象徴する独特の雰囲気は、この時にそのルーツがあると言って良いだろう。
また、最初に開港を求められたのは神戸ではなく兵庫港だったが、横浜と同じく、トラブルが懸念され、その代わりに神戸が開港されたという訳である。
長崎港
 外国と日本の交流を考えた時、その歴史でずば抜けているのが長崎である。古くは種子島において鉄砲が伝来、多くのポルトガル人がキリスト教を宣教し、町には協会や洋風建築の建物が軒を連ねていた。
そして元亀元(1570)年、キリシタン大名の大村純忠が町造りを行い、港を測量して翌年に開港したのが長崎港の始まりである。その後、日本は鎖国制を敷き、外国との間に壁を作ろうとする。
しかし、そんな中にあって寛永13(1636)年には出島が出現し、日本と外国をつなぐ唯一のパイプとなった。貿易や文化交流という観点で見た場合、長崎はその先駆者であり、抜きにしては語れないのである。
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