横浜開港当時(150年程前)の由緒ある場所・建物、アイスクリームの由来などを現在と過去の写真を比較しながら歴史を紹介しているサイトです。

サイトマップ 更新履歴
TIME SLIP YOKOHAMA
横浜の歴史情報サイト タイムスリップよこはま TIME SLIP YOKOHAMA
桜木町周辺 関内駅周辺 横浜港郵便局周辺 中華街周辺 元町周辺 根岸周辺 関東で起きた悲惨な出来事
 
what's new
2009.06.03 【ハマのクイズマラソン】 応募を締め切らせていただきました。
たくさんのご応募ありがとうございました。
2009.03.23 「桜木町周辺」-「近代水道」写真一部差し替え
「港郵便局周辺」-「旧 横浜港駅プラットホーム」写真一部差し替え
「港郵便局周辺」-「赤レンガ倉庫」写真差し替え
「中華街周辺」-「赤い靴はいてた女の子の像」写真差し替え
「中華街周辺」-「かもめの水兵さん」写真差し替え
「元町周辺」-「ヒマラヤスギ」写真追加
「関東で起きた悲惨な出来事」-「インド水塔」写真一部追加
2009.03.11 「桜木町周辺」-「牛鍋屋」写真一部差し替え
「根岸周辺」-「原三渓翁之碑」写真一部差し替え
2009.02.02

「関内駅周辺」-「街灯点火の地」新規追加
「元町周辺」-「元町商店街」写真一部差し替え

 
よこはま言葉
 
開港当時の横浜の姿
横浜鉄道館蒸気車往返之図
年代不詳『神奈川県民共済生活協同組合』提供
(※写真をクリックすると拡大表示されます)
開港5大都市
横浜の広域マップはこちら
 横浜が開港するきっかけとなったのは日米修好通商条約だったが、実は開港地は神奈川の予定だった。 しかし、東海道沿いに位置する神奈川を開港すると、外国人との間にトラブルの発生する恐れがあった為、横浜に変更され、そして1859年(安政6年)、開港に至ったわけである。
横浜は水深があり、大型の外国船が入港するには申し分無かったが、一帯は開発のし易い新田地帯であり、後に市街地として急速な発展を遂げる要素が満たされていた為、開港されると、アメリカと同様の条約を締結したオランダ・ロシア・イギリス・フランスの5ヵ国と交流も始まり、横浜は貿易港としての町独特の様相を呈していった。また、1868年(慶応4年)までの9年間にポルトガル、プロシァ、ベルギー、スイス、イタリア、デンマークといった国々と通商条約を結んで横浜はより異国人と交流を深めることとなった。横浜が開港した後にまず初めに現在の山下町に位置するところに山下居留地が4年ほどで完成し、その後に横浜居留地、山手居留地などが幕府により造成されていった。その地域には徐々に「地番」が付けられていった。
それからは内外を問わず、色々な目的を持った人々が訪れるようになり、大変に賑わったが、開港されたとはいえ当時の横浜には交渉事に使用するに相応しい場所など無く、現在の開港資料館にあたる水神の森の脇に応接所を急遽建て、数々の交渉の場となっていった。開港資料館内中庭には、関東大震災の時に、根本まで焼けたが、見事な再生を遂げた、横浜の歴史の生き証人とも言うべき玉楠の木が今も立っている。これが現在、日本でも有数の貿易港に成長した横浜の開港当時の姿である。
(横浜鉄道館蒸気車往返之図のパブリックアート説明文より)
 昔、桜木町駅が横浜駅であった!
1872年(明治5年)5月に日本で初めての鉄道が品川と横浜の間で開業し、9月には新橋と横浜の間で開通しました。桜木町駅の関内寄りに「鉄道発祥の地」の記念碑がありますが、現在の横浜駅が1915年(大正4年)に開業する前の43年間は桜木町駅が横浜駅でした。アメリカ人のR.P.ブリジンスが設計した駅舎は新橋駅と同じ形をしており、機関車・客車・貨車などは全てイギリスから輸入されました。この絵は文明開化の発祥地である横浜を写生の題材とした当時の浮世絵で、世に「横浜絵」と言われていますが、横浜開港資料館所蔵の三代広重が描いた「横浜鉄道館蒸気車往返之図」の原画を基に滋賀県信楽で焼いたものです。
 
ページトップヘ
横浜観光コンベンション・ビューロー観光情報サイト
Yokohama's Best Collection
馬と競馬の博物館
財団法人帆船日本丸記念財団
       
   
 
   
株式会社 フューチャーネットワークス
 
Copyright