タイムスリップよこはま 〜TIME SLIP YOKOHAMA〜
HOME
桜木町周辺 関内駅周辺 横浜港郵便局周辺 中華街周辺 元町周辺 根岸周辺 関東で起きた悲惨な出来事
関東で起きた悲惨な出来事
関東大震災
横浜大空襲
インド水塔
ララ物資
横浜大空襲
終戦記念日
 
生活必需品購入通帳
横浜都市発展記念館所蔵
  我国最古の公園
横浜公園敷地内にある多くの人々が避難した最古の公園
交通手段:JR京浜東北線・根岸線 関内駅南口より徒歩3分。

(※写真をクリックすると拡大表示されます)
歴史
 関東大震災から奇跡の復興を遂げた横浜を、今度は戦争という災厄が襲った。1945年(昭和20年)5月29日、快晴無風、空は青く澄みきっていた。9時22分、その晴れ渡った空一面は、見渡す限りの爆撃機に覆われた。アメリカ軍による、横浜大空襲の幕開けだった。アメリカの目的は、もちろん日本の早期全面降伏であり、その為の大都市に対する絨毯(じゅうたん)爆撃であった。自動車・造船等の軍需工業地帯だった横浜も、その標的となった訳で、空からは焼夷弾が雨のように降り、市街地は見る見る内に火に包まれていき、壊滅状態となった。
 空襲直後から管内は全面停電、警察電話は不通となり、指揮命令の手段は失われた。わずか1時間8分で同市内の鶴見、神奈川、西、中、南、保土ケ谷区が壊滅、市域の34%が焼け野原と化し、同市人口の3分の1の31万人が被災、死亡者は約8千〜1万名ほどにもなった。防空濠はもちろんあったが、横浜のそれは丘陵地帯に作られた事もあり、横穴式が多く、横浜を襲った30数回を数える空襲に対してはあまり役に立たなかった。この横浜大空襲が、横浜の戦後復興を困難なものにさせたのは言うまでも無い。あまりにも悲惨な、2度と起きてはならない事である。

また、横浜公園に避難した多くの市民が助かり、感謝の気持ちを込めて、記念碑が作られ、今でも記念碑が横浜公園に残されている。
HOME ページトップへ
Copyright