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日米修好通商条約の調印がされるまでは今の本牧から根岸にかけての範囲は半農半漁の小さな村だったため、民間人の食べ物も自ずと魚貝類が主食となっていた。そんな中で1858年に日米修好通商条約が調印され、これにより、横浜・函館・新潟・兵庫・長崎の5つの都市の港が開港された。これが横浜港開港の始まりでもある。それからは、神奈川の一寒村にしかすぎなかった横浜村も凄い勢いで発展していった。そんな中1963年に本牧ふ頭の造成でそれまで海だったところが一部埋め尽くされていった。この地がかつて海で海苔や魚貝類を採っていたことと、一つの村から都市にまで上り詰めた横浜を記念して、本牧市民公園の中に記念碑として建っている。 |
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