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横浜という町が、その大部分を海だった場所を埋め立てによって、成り立たせている事は周知の事実である。現在でこそ、日本有数の近代都市も、昔は小さな漁村だったのだ。そんな中、特に本牧から根岸にかけては昔の景観を多少ながら留めている地区であると、言える。現在の本牧市民公園あたりから磯子方面にかけては、ずっと続く海岸地帯であり、漁業が盛んに行われていた。
写真は1950年(昭和25年)から1955年(昭和30年)頃の杉田地域の様子だが、一帯が海岸である事がわかり、また、何か海産物の養殖が行われているのが見うけられ、一見して漁村である事が明白である。付近に大きな建物は無く、民家がひしめいている。
わずかに近くを市電が走っているのが目をとらえるが、その他はこれといって名所・旧跡があるでもなく、静かな村だったという印象が強い。子どもの頃、あるいは学生時代、この杉田海岸でよく海水浴や潮干狩りをしたという人もいるだろう。海と反対側は山だったので、その地形によって急激な都市開発の波も届きにくく、横浜市の中でも自然が多く残っている地域であるとも言える。
現在ではJR根岸線が通っていて交通の便も良くなった事もあり、都市化もだいぶ進み、昔の漁村だった面影は遠いものになりつつある。 |
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