タイムスリップよこはま 〜TIME SLIP YOKOHAMA〜
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石鹸工場発祥の地
石鹸工場発祥の地
交通手段:JR京浜東北線・根岸線 「桜木町駅」または「横浜駅」または「根岸駅」より市営バス「旭台」下車すぐ

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歴史
 今から約4000年前、アジアのヒッタイト人がシャボンソウの灰を混ぜた水で手を洗ったこと、シュメール人がアルカリ液で手・足・身体を洗ったことが石鹸の始まりだと言われている。
日本には、1543年(天文12年)頃から1596年(慶長元年)頃までに渡来したポルトガル船やスペイン船により伝わった。1824年(文政7年)、宇田川棒斎・榕菴が日本で初めて医薬用石鹸の製造に成功し、1873年(明治6年)横浜の堤磯右衛門が洗濯石鹸の製造に成功し、日本最初の石鹸工場が横浜に誕生した。

[堤磯右衛門]
 1833年(天保4年)、武蔵国磯子村(現・横浜市磯子区)で生まれる。
1853年(嘉永6年)、品川台場の建設資材輸送に携わっていたが、公共事業の建設請負から物資の製造に転身する。レンガと、灯台の菜種油の製造をはじめたが、1873年(明治6年)には撤退する。
この頃に、石鹸の製造に成功し、1874年(明治5年)には現在の横浜市南区万世町に堤石鹸製造所を開設する。1879年(明治10年)代に入り、経営は安定し、日本各地の博覧会で賞を受賞したり、各地からの研修生に技術指導をしたりと、大きな役割を果たした。しかし、同業者の増加などにより経営は悪化し、1890年(明治23年)には堤石鹸製造所は操業を停止した。翌年1月28日には堤自身も病に倒れ、その生涯に幕を下ろした。

[碑文]
−堤磯右衛門石鹸製造所跡−
堤磯右衛門は、磯子村の村役人を務める旧家の出身で、明治初期の横浜の実業家でした。磯右衛門は、明治六年(1873)三月、横浜三吉町四丁目(現:南区万世町二丁目二十五番地付近)で日本最初の石鹸製造所を創業、同年七月洗濯石鹸、翌年には化粧石鹸の製造に成功しました。明治十年(1877)第一回内国勧業博覧会で、磯右衛門の石鹸は花紋賞を受賞しました。その後、香港・上海へも輸出され、明治十年代の前半に石鹸製造事業は最盛期を迎えました。明治二十三年(1890)「時事新報」主催の優良国産石鹸の大衆投票で第一位になりましたが、全国的な不況のなかで経営規模を縮小せざるをえませんでした。翌年創業者の磯右衛門が死去、その二年後の明治二十六年(1893)ついに廃業にいたりました。

平成五年十二月一日に南区が区制五〇周年を迎えたことを記念し、この地に日本最初の「石鹸工場発祥の地」の記念銘板を設置します。

平成六年三月
南区制五〇周年記念事業実行委員会
横浜市南区役所
 
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