|
|
現在の神奈川奉行所跡の記念碑 JR根岸線桜木町駅「紅葉坂」を登った県立青少年センター前に建っている |
|
(※写真をクリックすると拡大表示されます)
西区の戸部。紅葉坂を登って行くと、右手に青少年会館や県立図書館、県立音楽堂などの建物が見えてくる。その片隅に写真のような、神奈川奉行所跡の碑が立っている。奉行所とは、現在で言うところの警察と役所を合体させたような機能を持った機関である。運上所が主に外交関係や税関業務を行っていたのに対し、奉行所は、開港間もない横浜で専ら行政事務や外国人遊歩区域内の風俗取締、裁判や農民・町人の出願事項の受付・処理などを行っていた。設立されたのは1859年(安政5年)6月2日で、開港直後の事である。その所在地から「戸部役所」と呼称され、運上所と共に行政を司っていた。神奈川奉行は外国奉行とも呼ばれ、戸部役所と運上所を馬で行き来していた。急坂を登ったり降りたりと、通うのに不便な事この上ないが、場所を戸部にした事には理由があった。開港場の中央から離れた場所に設置する事で、外国人に内政を秘密にできたのだ。また、万が一、外国側との変事が起きた場合には横浜の町を眼下にできる土地柄、城砦へとその機能を変える事が容易だったからである。これにより、野毛を含む戸部地区には官庁街が出現した。それまでの住民は移転する事を余儀なくされ、生業を失う者も多かった。これに対する補償金もあったが3年待たないと支払われなかったと言われている。モノクロの写真は1909年(明治42年)頃の願成寺という寺で、当時、神奈川奉行が宿舎として使用していた。寺と言う割には萱葺き屋根の、およそ寺らしからぬ風貌である。この願成寺付近には牢獄や処刑場などもあり、特に外国人達にとっては「願成寺」と聞くと投獄や刑罰のイメージがあったらしく、あまり良い印象は持たれていなかったようである。現在、この願成寺は地域史跡として横浜市登録文化財の指定を受けており、平成6年11月1日に登録されている。 |
|