1870年(明治3年)、高島易断で有名な高島嘉右衛門(当時は実業家)は、県庁からガス灯の建設協力を頼まれ、「日本社中」を結成。
高島は上海でガス灯建設を行っていたフランス人技師アンリ・プレグランを招いて横浜でのガス事業計画を進める。
工場は伊勢山下石炭蔵前に建設することとなり、1872年(明治5年)9月に完成。
同月26日、神奈川県庁付近および大江橋から馬車道・本町通りまでの間にガス灯十数基を点灯した。
これがわが国のガス事業の発祥である。
高島嘉右衛門のガス工場は、1875年(明治8年)に町内会に譲渡され「横浜市瓦斯局」となり、現在は「東京ガス」になっている。
余談ではあるが、現在の横浜市西区高島町の名は、1871年(明治4年)の京浜間の鉄道計画に賛成した高島嘉右衛門が、野毛の石崎から青木町までの海を埋め立てた事業を記念して名付けられたという。 |