今では小説の巨匠とまで言われている小説・劇作家の長谷川伸は、1884年(明治17年)に今の日ノ出町駅の近くで産声をあげた。
生まれも育ちも横浜であった。彼は父の破産によって小学校を中退せざるを得なくなった。
また、貧困であったため、幼い頃から第2号ドック(現在の日本丸メモリアルパーク)で小僧として働き、暇を見つけては小説を書いていた。
そして、二十歳と言う若き年で新聞記者となり、後に小説家まで上りつめていったのである。
それからは、数々の小説を書き、そのほとんどがベストセラーとなり、中には映画化されたものもある。
彼は1963年(昭和38年)にこの世を去ったが、その3年後の1966年(昭和41年)に長谷川伸賞が設立された。
主な作品として、「夜もすがら検校」、「敵討鑓諸共」、「闇の巣」、「沓掛時次郎」、「関の弥太っぺ」、
「日染月染」、「紅蝙蝠」、「瞼の母」、「戸波長八郎」、「一本刀土俵入」、
「刺青奇偶」、「荒木又右衛門」、「八丈つむじ風」、「越後獅子祭」、「江戸幕末志」、「足尾九兵衛の懺悔」、
「日本捕虜志」、「四斗谷平次」、「堀の小伝」、「三代目扇歌と女」、「横浜租界」、「灯篭堂の僧」、
「日本敵討異相」、「印度洋の常陸丸」、「股旅新八景」など25点以上もの小説が今でも残されている。
現在の日本丸メモリアルパークの脇には、弟子が中心となって長谷川伸の幼い頃の思い出として建立した
「長谷川伸の文学碑」がある。この碑には、「一本刀土俵入」のセリフが刻まれている。 |