山下公園敷地内氷川丸の傍に建っている
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この碑は、今は山下公園に建てられているが、昔は山下公園付近にある大桟橋埠頭はメリケン波止場と民間人から呼べれていた。メリケンとは当時横浜で使われていた横浜言葉の一つでもあり、アメリカンが訛ってメリケンと呼ばれていた。当時の大桟橋は横浜港が開港したと同時に他国から色々な物が入ってきて、人もそれなりに出入りしたことから付けられたとされている。また、1933年には、かもめの水兵さんの作詞を手がけた武内俊子さんが叔父をハワイへ見送る際に、現在の山下公園で青空の下をかもめが飛んでいたことからかもめの水兵さんの歌が作られたともされている。また、この歌は今でも老若男女問わず歌われており、横浜港から発祥された一つでもある。
♪かもめの水兵さん
神奈川県知事 長洲一二
武内俊子 作詩
河村光陽 作曲
一
かもめの すいへいさん
ならんだ すいへいさん
白いぼうし 白いシャツ 白いふく
波にちゃっぷ ちゃっぷ うかんでる
ニ
かもめの すいへいさん
かけあし すいへいさん
白いぼうし 白いシャツ 白いふく
波をちゃっぷ ちゃっぷ こえていく
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