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赤レンガ倉庫から見て脇の方に「旧横浜港駅プラットホーム」と線路がオブジェのように飾ってある。この駅のプラットホームは1911年(明治44年)当時に横浜税関内の荷扱所として使われていたものでもあり、1920年(大正9年)には横浜港駅となり、東京駅からの汽船連絡列車も行き来するようになっていった。大正から昭和の間に活躍した臨港列車で東京駅から新港埠頭間を行き来していた。臨港列車は、蒸気機関車と5両の客車から構成されており人々からは「岸壁列車」と呼ばれるようになっていった。臨港列車の第1号は、1920年(大正9年)の7月23日に出帆したシアトル航路の「香取丸」向けに運行したものであった。そして関東大震災復興した1928年(昭和3年)には外航ターミナルの旧横浜駅プラットホームが設けられ海外との外航時代の最盛期を迎えた。今は赤レンガパークとしての休憩場所となっている。
〜説明文〜
Old Platform of "Yokohama Minato" Station
「横浜港駅」は、明治44(1911)年、横浜税関構内の荷扱所としてつくられ、大正9(1920)年7月23日、「横浜港駅」となり、東京駅から初の汽船連絡列車が乗りいれました。列車はその後、「岸壁列車」などと呼ばれて親しまれました。関東大震災の復興期、昭和3(1928)年当時の花形外航ターミナルにそって旧「横浜港駅」の「プラットホーム」が設けられ、華やかな海外航路時代の最盛期をむかえました。「赤れんがパーク」の休憩所として保存再利用にあたり、傷んでいた上屋は新素材で復元しています。 |
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