タイムスリップよこはま 〜TIME SLIP YOKOHAMA〜
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赤い靴
 
赤い靴はいてた女の子の像
 
赤い靴はいてた女の子の像
  山下公園に建っている  

(※写真をクリックすると拡大表示されます)
歴史
  横浜といえば「赤い靴」を連想する方も多いと思う。現に横浜土産にも赤い靴をデザインしたものが多い。 ここで改めて『赤い靴』の歌にある悲しい母子の話について説明しよう。野口雨情の詩になる童謡『赤い靴』をはいていた女の子にはモデルが存在した。 1904年(明治37年)7月15日静岡県清水市宮加三(旧二見村)に生まれた「岩崎きみ」がその子である。 「きみ」とその母「かよ」とは、故あって北海道に渡るが、この地で母はまだ2歳になったばかりのわが子をアメリカ人宣教師ヒュエット夫妻にその養育を託すさだめとなった。 やがて宣教師夫妻には母国への帰国が命ぜられるが、このとき「きみ」は不治の病におかされており、夫妻はやむなくこの幼子を孤児院(当時麻布十番にあった鳥居坂教会の孤児院)に残して旅立った。「きみ」はひとり癒えることのない病の床にあって相見ることも叶わぬ母を慕いながらわずか9歳の短い生涯を終えた。 いま、この女の子は、青山墓地の鳥居坂教会の共同墓地(東京六本木)に眠っている。一方、母「かよ」はそんな娘の死も知らないまま、「きみ」はヒュエット夫妻とアメリカに渡り、幸せに暮らしていると信じ、1948年(昭和23年)に「きみちゃん、ごめんね」の言葉を残して64歳で他界したという。現在、この幸薄い母子に思いを寄せ、「きみ」にゆかりのある地に合わせて4つの像が建てられている。
・日本平・・・母子像(きみの生まれ故郷、静岡県清水市を見下ろす日本平山頂に、母子向かい合って建っている像が1986年(昭和61年)に建った)
・北海道虻田郡留寿都村・・・母思像(母「かよ」の入植した開拓農場があった縁で作られた「赤い靴ふるさと公園」内にあり、1991年(平成 3年)に建った)
・北海道小樽市・・・赤い靴 親子の像(母「かよ」と夫の鈴木志郎が女の子とともに小樽に住んでたことから小樽運河公園に三人の銅像が2007年(平成19年)に建った)
・麻布十番・・・きみちゃん像(「きみ」が短い生涯を閉じた孤児院があったこの地にも、1989年(昭和64年)に小さな「きみ」の像が建った)
・山下公園・・・赤い靴(叶わなかったアメリカでの暮らしを夢見て遠く海を見つめるように銅像が1979年(昭和54年)に建った)

♪赤い靴
(作詞:野口雨情/作曲:本居長世)

赤い靴はいてた女の子
異人さんにつれられて
行っちゃった

横浜の埠場から船に乗って
異人さんにつれられて
行っちゃった

今では青い目になっちゃって
異人さんのお国に
いるんだろう

赤い靴見るたび考える
異人さんに逢うたび

考える


 
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