タイムスリップよこはま 〜TIME SLIP YOKOHAMA〜
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日本で最初の邦字新聞
 

日本国新聞発祥の地碑
西門通りを直進すると「善隣門」がある
交通手段:JR京浜東北線・根岸線 石川町駅北口より徒歩5分。

(※写真をクリックすると拡大表示されます)
 
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歴史
 1837年(天保8年)に兵庫県で生まれた浜田彦蔵(幼少時代は彦太郎)は、1850年(嘉永3年)に摂津の栄力丸で江戸からの帰帆途中に台風に遭遇してアメリカの船に助けられる。その後、彦太郎はアメリカの地で勉学をし、1858年(安政5年)に帰化第一号としてアメリカの市民権を得た。また、キリスト教の洗礼を受けてクリスチャンネームの「ジョセフ」を用いてこの頃からジョセフ彦と名乗るようになっていった。また、1859年(安政6年)に帰国したジョセフ彦はアメリカ領事館の通訳に選ばれ、日米修好条約の締結などの派遣に大忙しであった。そして1864年(文久4年)に岸田吟香に協力してもらい横浜で初めて手書きの新聞紙を創刊し定期的に刊行するようになった。その時は改題され「海外新聞」となり外国新聞の翻訳を用いた新聞であった。海外事情が日本語に翻訳されており海外事情を明らかにすることが目的とされ郵便船が持ってきたが、新聞発行が赤字であったため数ヶ月後に幕を閉じた。この海外新聞こそが横浜から広まっていった日本最初の邦字新聞である。
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