タイムスリップよこはま 〜TIME SLIP YOKOHAMA〜
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グラウンド・ホテル新館
年代不詳 『横浜開港資料館』提供
昭和30年代後半の山下公園
昭和30年代後半の山下公園内からマリン・タワーを望む
交通手段:みなとみらい線「元町・中華街駅」山下公園口より徒歩1分。
山下公園
交通手段:JR京浜東北線・根岸線 「関内駅」または「石川町駅」より徒歩15分。または、みなとみらい線「元町・中華街駅」山下公園口より徒歩4分。

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歴史
 現在の山下公園に位置する場所に東波止場とも言われるフランス波止場があった。この波止場に関しては、フランス人居住地区にあたることからフランス波止場と言われるようになった。また、フランス側の要請によって幕府が建設したものとされている。

また、1923年(大正12年)9月1日に起きた関東大震災後の10月10日に山下公園は、震災の際に発生した建物などの崩れた残骸の集積場とされた。
山下公園に指定されたのは1923年(大正12年)11月15日で開園したのが1930年(昭和5年)の3月15日とされている。

1863年(文久3年)にイギリスのW.H.スミスが、居留地五番であった(現在の横浜市中区山下町付近)住まいを同じ国の人達の社交場とし、クラブを作り、他国から渡来して来た同じ国の人達に宿舎として差し出した。これが、日本での最初のホテル組織となった。

その後、通称「豚屋火事」で大きな災害が起きたが、そこの五番クラブだけは焼失を間逃れた。1869年(明治2年)になると、イギリスのヴァン・ビューレンが五番クラブの経営を引き継ぎ、店の名前を「クラブ・ホテル」と改名した。また、横浜では現在の中区山下町の「グランド・ホテル」を始めとし、関東大震災後に日本人経営のホテルができ始めた。
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