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中華街「中土木事務所」付近にある「レイトンハウスヨコハマ」の向いに建っている。 |
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この碑は、1860年(万延元年)に歯科医師として横浜に来日したアメリカ人のウィリアムス・イーストレーキ師が3度目に来日して診療所を1911年(明治44年)に開設した地である。また、彼が1868年(慶応4年)に2度目の来日時は診療所の開設をし、日本人の歯科医師の育成にも励んでいた。診療所の場所は未だ不詳である。1800年(寛政12年)以降のアメリカでは歯科医学は高い水準値にあった。ウィリアムス・イーストレーキがその中でも最初と言われその後にジョージ・エリオット博士やマーソン・パーキンス博士などが横浜で診療所を開業していき、それを松岡萬蔵が引継いでいったという。だが、西洋歯科医学は横浜が最初ではなく、長崎において1823年(文政6年)にフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトによって日本で初めて発祥されたとされている。現在、中華街の外れた位置にイーストレーキ博士が来日して125周年経ったのと同時に神奈川県歯科医師会の60周年を迎えることにより記念して石碑を建てた。
記念碑の後には、下記のように削られている。
ここは、万延元年(1860)歯科医師として最初に来日した米国人ウイリアム・クラーク
・イーストレーキ博士が、来浜3度目の明治14年に 歯科診療所を開設したゆかりの地
である。博士は明治元年2度目の来浜に際し歯科診療所(所在地不明)を開設し献身的な診療活動の傍ら日本人歯科医師の育成に努力を傾注し日本近代歯科医学の世界的発展の端緒を開く役割を担われた。
いまイーストレーキ博士の来浜125周年ならびに神奈川県歯科医師会創立60周年を迎えるにあたり博士の多大な業績を讃えその意義を後生に伝えるため西洋歯科学発祥のこの地に顕彰の碑を建設するものである。
昭和60年11月吉日
社団法人神奈川県歯科医師会
会 長 加藤 増夫 |
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