西洋理容の発端は、1869(明治2年)に政府の「断髪令」に先がけて小倉虎吉が山下町148番地(現在の中華街)に横浜で初めての理髪店を開業した。断髪令と言っても散髪の許可が政府から下りただけである。また、開港後に小倉虎吉、原徳之助、松本定吉らの7、8人が入港した異国船の船員の顔の髭を剃ったのがきっかけともされている。「床屋」と言う語源は「床の間にある店」から「床場」と変わっていき「床屋」になっていったと言われている。
「半髪頭をたゝいてみれば因循姑息の声がする」
「惣髪頭をたゝいてみれば王政復古の音がする」
「ザンギリ(斬切)頭をたゝいてみれば文明開化の音がする」
上記に記載した3行の文言が当時の新聞に掲載され国民へ流行した。
これは新政府の木戸孝允が新聞の偉大な役割に着目して掲載させたもので、文明開化にザンギリ頭が欠かせないものであるという観念を国民に植え付けたものであった。
当時のザンギリを模ったモニュメントが山下公園内に建っていてこの地から西洋理容が広まって行ったのを記念している。 |