吉田橋は、日本最初の無橋脚鉄橋である。現在の吉田町側から港町側の土手に架けられた。 しかし、作られた当初は鉄製ではなく、木製の橋だった。そして新興都市横浜の交通の中心であったが為に、すぐに損傷し、修繕を余儀なくされ、その際に鉄を使った橋に変わった訳である。これは、地元の人々や在留公使・領事等から交通が多いので、すぐに壊れない橋を作るようにとの要望を取り入れた結果である。
修繕にあたっては、イギリスの土木技士であるリチャード・ヘンリー・ブラントンが建設計画と設計を依頼され、イギリスから鉄材等を取り寄せ、1869年(明治2年)始めに着手、10月に鉄橋として生まれ変わった姿を見せた。日本人にとって鉄製の橋は珍しく、人々はこれを「カネの橋」と呼び、横浜名物の1つでもあった。「カネの橋」と呼ばれたのにはもう1つ理由がある。吉田橋を渡る時、番所で橋銭という通行料を払わなければならなかったのだ。
時代が変わって橋の寿命も終わり、「カネの橋」は1911年(明治44年)、遂に鉄筋コンクリートに作り変えられ、その容貌は橋というには程遠いものになってしまった。今は、記念碑が立っており、当時の様子をわずかに知る事ができる。
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