交通手段:JR京浜東北線・根岸線 関内駅北口下車、約5分
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伊勢佐木町と言う名称は少し珍しげな感じでもあるがそれにはちゃんと訳がある。明治7年の1874年に今でも繁華街である伊勢佐木町の名称が制定された。町名の由来は2説あり、1説は、最後に神奈川奉行の勤めを果たした依田伊勢守と佐々木信濃守の2人の名前から取った説である。もうひとつの説は、市街化開発に貢献した伊勢屋文蔵と佐々木治平の2人の名前から取ったという説である。1873年までは伊勢佐木町という名称ではなく吉田新田と庶民から言われていた。少し遡るが、伊勢佐木町という町名が付く前の吉田新田と言う名称は吉田勘兵衛良信の名前に因んで付けた地名である。また、吉田勘兵衛良信は、1611年に摂津国(大阪)に生まれ、24才で江戸に出て、木材石商を営んでいた。勘兵衛は1650年(慶安3)の江戸の大地震などによって木・石材の販売で利益を得て、干拓事業を思い立ち、初めに隅田川沿いの湿地帯、千住中村の音無川流域の湿原を干拓した。江戸幕府は、石高が千石を超えた地主には、社の建立を許すという布告を出していたが、それには届かず、隅田川沿岸の江戸城内側は、奥州外様大名の防備にあてられた重要地帯であったため、それ以上の幕府の許可がおりなかった。尾張、飛騨、信州、木曽、遠州などの木・石材の買付先や東海道の箱根などに、千石の収穫のある新田開発の地を探したが、街道筋に食い入る余地はなく、街道を外れてた横浜村にやってきた人物である。
名前の由来
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尾上町
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神奈川運上所跡
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旧 横浜正金銀行
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レストラン
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カネの橋
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ガス灯
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近代街路樹
馬車道
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写真開祖の地
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公衆トイレ
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太陽の母子像
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横浜毎日新聞
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旧 生糸検査所
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電気発祥の地
郵船歴史博物館
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港町魚市場跡
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中居屋重兵衛
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三井物産横浜ビル
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ベイスターズ-煌-
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伊勢佐木町
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街灯点火の地