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神奈川県での電力供給は1890年(明治23年)から始まっている。その前年の1889年(明治22年)横浜共同電灯(後に横浜電気と改称)が県の許可を得て設立され、発電所の建設や電線の架設など開業の準備を整え、1890年(明治23年)9月に試験送電を始め、10月から営業を開始した。当時の発電方法は石炭火力であり、関内及び外国人居留地が営業区域とされ、後に関外も含めた横浜全市に営業区域を広げた。当時は他にも競合する電気事業出願者があったが、再三に渡る官庁に対しての許可の督促や競合者との折衝を経て営業許可を受けるに至ったのである。なお横浜電気(横浜共同電灯)は、1921年(大正10年)に東京電力の前身である東京電灯と合併している。試験送電は事務所内の電灯を点灯してのデモンストレーションが行われた。当初の出力は100キロワットの直流式、灯数は700灯ほどであり需要は少なかったが、1920年(大正9年)度末では約480,000灯まで増加した。モノクロの写真は1890年(明治23年)頃の常盤町火力発電所だが、小洒落た感じが漂う洋式建築のその外観からは、見た目に何の施設か答えに窮してしまう。現在でも中区常盤町の同じ場所に、姿形は違えど変電所の建物が残っているが、無人なのでシャッターはいつも下ろされている。また、建物の一角には写真のように神奈川県電気発祥の地碑が建っており、当時の直流式発電機のレリーフが刻まれ、その歴史を物語っている。この、電力という新たなエネルギーはそれまでの主力であった蒸気やガスと比較し、取扱の手軽さや消費量計算の確実さ、装置が場所を取らない事、また、振動等による不快感もないとあって普及に加速度がつき、横浜の工業都市としての発展に際し、その大きな一翼を担っていたのである。 |
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