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JR京浜東北線・根岸線 関内駅北口馬車道通り 関内ホール前に立っている |
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ガス灯を語るには、まずガス事業の発祥から始めなければならない。 そもそも1869年(明治2年)頃、太田町の人々がガス灯の建設を神奈川県に出願したが、これを県が受け入れなかった事に端を発している。翌年の1870年(明治3年)にはドイツ領事であるシュルツが経営するシュルツ・ライス商会が再度ガス灯の建設を出願。しかし、同年設立された日本社中という会社がこれに対抗し、ガス事業を出願した。
外国の会社と日本の会社の間でガス灯の建設をめぐり、競争が起こったのである。困惑した県は、居留外人の投票という方法で権利を決定したのだった。勝ったのは日本社中であった為、同社はフランス人技師のプレグランと契約し、花咲町5丁目にガス工場を建設した。
そして1872年(明治5年)9月、大江橋より馬車道、本町通りにかけて日本初のガス灯がともった。その美しさは、火をともした瞬間と、小雨が降っている時が最もきれいだったと言われている。
日本社中があった場所は現在の本町小学校であるが、敷地内には文化財として1本のガス灯が残されており、そばには「日本最初のガス会社跡」の記念碑がある。また、馬車道沿いの一ヶ所には、やはり記念碑があり、その両側には、当時のままに復元されたガス灯が立っている。 |
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