日刊新聞の始めは「横浜毎日新聞」であり、創刊は1871年(明治4年)1月28日だった。
それ以前も新聞はあったものの、いずれも外人の手によって刊行されており、1865年5月、浜田彦蔵が翻訳した「海外新聞」が創刊されるまで、日本語のものはなかった。
テレビやラジオといったものなどはずっと後の時代に現れたニュース媒体であるから、最初、物事の伝達手段は、聞く事しかなかった。それが「かわら版」となり、そして新聞へと姿を変えて行ったのである。
「横浜毎日新聞」は、当時神奈川県知事だった井関盛良が横浜の貿易商らに呼びかけ、その出資により刊行に至ったもので、横浜の当時を色濃く反映しており、貿易・経済関係のニュースが主だった。他には迷子・売家・移転・落し物等のお知らせが掲載され、2ページもので売られており、価格は1匁(100厘)だった。
※1厘=1/1,000円、1円=金:1.5g、1匁=3.75g。
売るのは「新聞おじさん」と呼ばれるハッピ・半てん姿の人だった。これが日刊新聞の始まりであり、鉛活字と西洋紙を使用した新聞の誕生である。
以降、この「横浜毎日新聞」は、改題を繰り返しながらも、1941年(昭和16年)に、残念ながら姿を消す事となる。
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