タイムスリップよこはま 〜TIME SLIP YOKOHAMA〜
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ペリー提督横浜上陸
 
玉楠の木(玉楠)

ペリー提督横浜上陸
横浜開港資料館出入口付近に建っている。

(※写真をクリックすると拡大表示されます)
歴史
 1854年(嘉永7年)2月10日、ペリー提督は随員を従えて横浜に上陸した。浦賀来航の翌年のことである。写真の絵「ペリー提督横浜上陸の図」は、このペリー艦隊の随行画家ハイネの原画による石版画である。絵右端にあるのが水神社という小さな神社、その背後にある大木が写真「玉楠の木」のかつての姿であると伝えられている。ペリーはこの上陸の図の左手に見える横浜応接所に入り、日米和親条約締結のための会談を行った。上陸日を初回として計4回に及ぶ会談と書面による交渉の結果、漂流民の救助・引き渡し、アメリカに物資(薪水・食料・石炭)を補給するための伊豆下田・函館2港の開港、下田に総領事を置くことなどを取り決め、3月3日に日米和親条約締結に至った。この日米和親条約の締結交渉が行われた横浜応接所は現在の神奈川県庁本庁舎の辺り、その近くにあった水神の森は、現在の横浜開港資料館辺りであると考えられている。水神社はその後移転し、跡地にイギリス領事館ができた。
当初はレンガ造りであったイギリス領事館は、1923年(大正12年)の関東大震災で被災し、震災で犠牲となった外国人の仮墓地となったこともあった。1931年(昭和6年)、英国工務省の設計、昭和土木建築の施工で新たに建築されたイギリス領事館は、1972年(昭和47年)9月に東京の総領事館に統廃合されたことにより業務閉鎖となり、建物は昭和54年4月に横浜市が買い取り、1980年(昭和55年)から「横浜開港資料館」として多くの資料の展示・閲覧のために保存され、現在に至っている。横浜開港資料館は2000年(平成12年)11月に横浜市指定文化財に指定された。領事館は震災で倒壊・焼失したが、一本の玉楠の木は焼け残った幹の回りから芽を出し、現在では横浜開港資料館の中庭いっぱいを占領するほどの巨木となっている。玉楠の木は楠と同じクスノキ科に属するタブノキ(椨の木)であるが、通称「たまくす」と呼ばれている。「たまくす」は、日米和親条約締結の地に開館した横浜開港資料館を象徴する有形文化財(1988年 (昭和63年)に横浜市地域史跡に指定された)になっている。かつての横浜村の漁師たちが帰港の目印としていたとも言われ、ずっと横浜の地を見続けてきた横浜の歴史の生き証人とも言える「たまくす」は、ペリー・スクエアと名付けられた横浜開港資料館の中庭で、写真のように今日も豊かな葉を繁らせている。
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