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今現在は石碑とされ残されており横浜都市発展記念館の傍にひっそりと建っている。その石碑の傍には旧 地下水槽遺構が残っている。その理由はというと1866年(慶応2年)に現在の末広町付近の豚肉屋から出火し外国人居留地と日本人街の大半が焼失してしまった。この火事のことを「豚屋火事」という。当時の家屋は木で建築していたため広い被害が出たために外国人居留地と日本人街の幅を広げ国境を作り火事の防火対策として、イギリス人のR.Hブラントンが中央に車道12m、左右に歩道3mと植樹帯9m、合計道路幅員36mと言う近代的な道路を造り上げた。それが現在の日本大通りである。1994年(平成 6年)の2月まで中消防署日本大通消防出張所があったが建物の老朽化の為、新築移転したため今は記念碑が展示されることとなった。また、当時の横浜は火事が起こりやすい環境であったために旧 地下水槽遺構と消防救急発祥の地が当時そこで活躍していた頃を物語っているかのように記念碑として残されている。 |
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