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一般に上水道の整備は、都市生活において欠かせないものであるが、横浜のような港湾都市にとっては船舶への給水という機能の上で不可欠なものであった。
海に接し、真水が得られる井戸の少ない横浜に開港場を整備しようとすれば、水の確保は重要な課題であった。
また開港後は、横浜の人口増が深刻な飲料水問題となり、後に1887年(明治20年)9月にイギリス人工兵中佐パーマーにより洋式水道(日本最初の近代水道)が完成することとなった。
タイムスリップよこはま>桜木町周辺>「近代水道」参照
最初の配水地域は市中心部のみで、街頭に設置した十数軒が共用する獅子頭を持つイギリス製共用栓を用いて配水された。
給水開始時の共用栓数は143基、他に消火栓を629期設置した。共用栓は最盛期には600基が横浜市内各所に設置されていた。当時の日本では、日常の水には井戸水を利用する場合が多く、水道を引くという考えは一般的ではなく、また屋内に蛇口を引くという習慣もなかった。そのため、水道の水は路頭の共用栓(獅子頭共用栓)から供給を行っていた。
共用栓の下にある水受石は山手の坂道などに敷設された道路側溝(ブラフ溝:雨が流れやすいようにくぼみをつけた石の側溝)の石材を再利用したものである。
ブラフ溝の「ブラフ」の意味については下記詳細をご参照ください。【写真の説明文】
この共用栓は、日本最初の近代水道となった横浜水道1885年〜1887年(明治18年〜20年)創設時市内各所に配置されていたものである、当時家屋内に蛇口を引く例は少なく、路頭の共用線から水の供給をうけるのが一般的で、創設期600基がイギリス・グレンフィールド社から輸入された。
また、水受石は、山手の坂道など居留地時代の道路側溝に使用されていた石材を再利用した。
<共用栓(複製):横浜市水道局寄贈/ブラフ溝:横浜市中土木事務所寄贈>
タイムスリップよこはま>元町周辺>「ブラフ溝」参照 |
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