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現在、このブラフ溝は元町公園に残っている。ブラフ溝の「ブラフ」とは、「断崖・絶壁」という意味のよこはま言葉で、山手は「切り立った崖」であることから居留外国人からは「ブラフ」と呼ばれていた。1874〜1875年にかけて居留地周辺や山手の坂道などでは石造りの道路側溝が敷設されるようになっていた。この道路側溝を居留外国人は「ブラフ溝」と呼んでいた。ブラフ溝は、雨が流れやすいように2枚の石を重ねてくぼみをつけた側溝で、西洋瓦や給水業などでも有名なフランス人:アルフレッド・ジェラールの要望により造られたもので、上の写真にあるブラフ溝もそのひとつである。同じく「ブラフ」の呼び名がついているものとして、「ブラフ積石垣」がある。これもブラフ溝と同じ頃に造られ、房州石(房総半島中南部から切り出された石の総称)を煉瓦のように積み上げた擁壁で、山手周辺の所々に現在も見ることができる。いずれも居留地時代の横浜山手をしのぶ貴重な土木遺産といえる。
上記写真の説明についてはこちらを参照。
<ブラフ(bluff)>
ブラフ(bluff)とは、「断崖・絶壁」という意味のよこはま言葉である。
かつて山手は居留外国人から「ブラフ」と呼ばれていた。主に日本人よりも外国人が「ブラフ」と呼んでいたと言われる。幕末、日本来航時に横浜周辺を測量したペリーは、本牧のオレンジ色の崖をその色から「マンダリン・ブラフ」と呼び、現在の本牧市民公園周辺の崖を「トリーティー・ポイント(条約岬)」と名付けた。
この本牧の断崖は横浜港に向かう各国の船の目標としてわかりやすい目印ともなっていた。 |
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