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昭和30年頃の外人墓地の風景
神奈川新聞社発行「激流」より |
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交通手段:JR京浜東北線・根岸線 石川町駅(元町口)より徒歩15分。
または、みなとみらい線 元町・中華街駅(元町口)下車徒歩5分。 |
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ペリーは開国交渉のため、1854年(嘉永7年)に再来日した。
その時に、ミシシッピー号の乗組員ロバート・ウィリアムズという24歳の二等水兵が墜死した。この水兵の埋葬地と共にアメリカ人用の墓地を「海の見える地」を条件に、ペリーは幕府に要求した。幕府は横浜村の増徳院(現在の元町一丁目から入った所にあったが大震災で全焼した)の境内の一部を提供した。ウィリアムズはここに埋葬された。これが横浜山手の外国人墓地の始まりとなった。
日米和親条約によって、伊豆下田の玉泉寺に米国人用墓地が作られることになり、ウィリアムズの遺体はこの3ヶ月後に移された。現在、玉泉寺にはペリー艦隊の日本遠征中に死亡した水兵らアメリカ人5名、ロシア人3名が埋葬されている。
関東大震災の後に増徳院も平楽に移転して、横浜外国人墓地は現在のような22区5600坪(約18,500u)の墓域となった。また関東大震災により、大半が焼失した埋葬記録も、最近になって4800柱を越す記録となったが、墓石数は2500程度となっている。 |
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