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1931年(昭和6年)9月作 『横浜開港資料館』提供 |
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西洋渡来の野菜が日本で最初に栽培されたのは、
長崎出島のオランダ屋敷でオランダ人たちが自給自足で西洋野菜を育てていた。開国すると、開港場近郊へと広がった。
1859年(安政6年)、イギリスの初代総領事として着任したオルコックは、
ニンジン、芽キャベツ、パセリ、ハナキャベツ、トマトなど西洋野菜の栽培に成功されていたことを「大君の都」に記録している。
また、横浜居留地で、西洋野菜の並ぶ八百屋の店頭を、作家大仏次郎氏は作品「幻燈」の中で
「強烈な色をして油絵の具をパレットにぶちまけたように塊っているのだ」と言っている。
西洋野菜は連合国軍最高司令官総司令部と共に日本へ上陸している。
当時、一番困った食料はレタスであった。
冷凍技術がまだ未熟で、はるばる冷凍船で運ばれてきたレタスも生で食べられる状態ではなかった。当時の農業は下肥で行われていた。
その中で、下肥を使わずに野菜を栽培している農場があり、生野菜を入手するとともに、
科学肥料だけを使って栽培する野菜「清浄野菜」も運ばれるようになった。 |
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