日本で始めて、パンの製造を始めたの日本人である。フランス軍艦ドルドーニュ号乗り組みのコックから手ほどきを受け、日本の小麦粉で「ゆでだんご」のようなパンを焼いた。
1860年、「お貸長屋」(現在の横浜開港資料館の辺り)で、「パンのような焼饅頭のようなものパン」を焼き、「和風パン屋」として開業する。その日本人が内海兵吉であると言われている。
1861年(文久元年)に開業するが、11月グッドマンの家が全焼し、翌年2月に「横浜最初のヨーロッパ風パン屋」を新規開店する。1864年、グッドマンは病気のため一時日本を離れるので、その間、ロバートクラークに任せた。グッドマンは1865年に再び来日し、営業を再開している。
1865年(慶応元年)8月、ロバートクラークは横浜で「横浜ベイカリー」を開き、35年パンを焼き続けた。その後、「横浜ベイカリー」は色々な説があるが、1875年(明治8年)に打木彦太郎が継承したのである。その後、宇千喜麺麭製作所と称する。
そのパン屋が、元町にあり、今も営業している「ヨコハマベーカリーウチキ商店」である。 |