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横浜が開港して外国人が増えたことにより日本人が一番困ったことは牛肉の確保をすることだった。外国人は主に食べるのが牛肉などであったが日本人は祝い事などがあると必ず出したのが牛肉程度のもので、牛肉が確保できなかった時は牛の乾燥肉で我慢していたほどであった。開港した翌年に食肉の専門店がちらほらと出来始め専門店では食肉はあたりまえの様に売っていたが他にバターや牛乳なども売り出し、1863年には山手付近にイギリス、フランスの2つの軍が駐屯していた為一気に食料が増え始めた。外国からの要求で食肉処理場を山手付近に設置した。また、1866年にはアメリカで芸人として働いていたリズレーが日本へ来日し牧場を開設し、リズレーの牧場が日本で初めてとなるが山手や根岸に徐々に牧場が出来てくるが何れにしろリズレーが糸口となる。これにより日本人経営者も出てくるわけだが確かな記録すら残っていない。リズレーの牧場が牛乳への日本へ伝わった糸口にもなりえるだろう。 |
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