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交通手段:みなとみらい線 元町・中華街駅(元町口)下車徒歩3分。 |
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開港後まもなく、横浜にも氷が輸入されるようになった。
当初、ボストンから輸入されていた「ボストン氷」と呼ばれるものは、大航海を経て半年かかって運ばれてくるので、とても高価なものとされていた。
そこで、各地で国産化を試みたのが中川 嘉兵衛(なかがわ かへえ)である。
しかし、各地で氷の切り出しを試みるが失敗し、その後、函館・五稜郭の外堀で作られた「函館氷」の商品化に成功する。この「函館氷」も横浜に輸送されていたが、それは開港場という函館の特質、つまり頻繁な外国船(イギリスやアメリカの外国商船)の出入という海運の利便さが大きく活かされたものであった。
日本の機械製氷の歴史は、高熱で病床に臥している福沢諭吉のために少量の氷を製造したことに始まる。
記録にある最も古い製氷工場は、1879年(明治12年)に英国人アルバート・ウォーターズが設立したジャパン・アイス・カンパニーである。
この工場の経営権は、2年後の1881年にオランダ人ストルネブリンク(Ludowicus Stornebrink)に移り、名称も「横浜アイス・ワークス」と変わったが、その後も長く経営された。
設立当時の建物は関東大震災で倒壊したものの、翌年には再建し、 1999(平成11年)12月31日まで、 株式会社ニチレイの子会社である神奈川日冷株式会社山手工場として、 再建当時の姿のままで稼働していたが、現在は解体され残ってはいない。
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