元町商店街から元町公園へ入った入口右手に建っている。
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日本における塗装の始まりは、下記の推測でしか分かっていない。
1854年(嘉永7年)2月13日、ペリー再来航の際、林大学頭が江戸の渋塗職人町田辰五郎に通商交渉を行う横浜応接所(現在の横浜外交資料館付近)建物外部のペンキ塗装を命じて、これがきっかけで、町田辰五郎は幕府からペンキの一手取り扱いと、外国公館(領事館・公使館)塗装の特権を与えられた。
1856年(安政3年)にアメリカ総領事ハリスは、神奈川宿本覚寺を領事館と定め、本覚寺をすべて白ペンキで塗った。これを機に、本覚寺に「全国塗装業者合同慰霊碑」が建立された。
1865年(慶応元年)に大工のT.S.スミスが塗装業を始めた。日本人では伊藤幸太郎と桜井鉄五郎がペンキ塗装業を始め、1872年(明治5年)鉄道建設の停車場の工事を請け負った。
長崎の湊公園には、「近代塗装伝来之碑」があり、碑文によれば、本格的なペイント塗装は、幕末から明治初年にかけて導入された洋風建築に始まり、18世紀半ば頃には、すでにペイント塗装が行われていた。
また、元町公園にある我国塗装発祥地いわゆるペンキ発祥の記念碑と、元町公園とは何ら関係がない為、何故元町公園に建てられたか、いまだに分かっていない。
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