タイムスリップよこはま 〜TIME SLIP YOKOHAMA〜
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山手公園(テニス)
山手公園
年代不詳 『横浜開港資料館』提供
交通手段:JR石川町南口より徒歩10分。または、JR桜木町駅より11系統・保土ヶ谷駅東口行「山手町」下車歩5分。
 
山手公園内にある
  テニス発祥記念館
山手公園内にある
日本庭球発祥の地
山手公園内にある

(※写真をクリックすると拡大表示されます)
 
 
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歴史
 山手公園は、外国人居留地住民の要望で日本政府から貸与された約6千坪の土地に居留地住民が造成した公園で、日本最初の洋式公園となった。1874年(明治7年)にイギリスでローンテニスが始まり、その2年後の1876年(明治9年)に横浜にテニスが生まれ、山手公園で初めてテニスがプレーされた。

その後、1944年(昭和19年)に山手公園は横浜市に管理が移り、1998年(平成10年)にテニスの発祥の地とされ、テニス発祥記念館を設けた。現在のテニスが生まれたのは、1865年に英国の陸軍であったブラウント大尉を代表として設立された「ラケット・コート・クラブ」である。この頃のゲームは2人がラケットを持ち、壁にボールを打ち合うものであった。これが現在のテニスの形となるものである。

それから年月が経ち、1874年(明治7年)にイギリスのウィングフィールドが近代テニスに近いルールを作り、1877年(明治10年)に「ローン・テニス・クラブ」が生まれ、コートを今の横浜公園のクリケット・グラウンドに設けた。その頃のテニスはネットの高さも、コートの広さも自由であった。同年にジョーンズにより、コートやボールなどの規定がほぼ現在の形に改良され、7月に最初の全英選手権大会が開催された。これが、近代テニスのできるまでのいきさつである。

現在もテニスクラブと市営テニスコートがあり、旧山手68番館の建物はクラブハウスとして使われている。また「テニス発祥記念館」、「日本庭球発祥の地の碑」が立っている。
 
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